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CAMERAMAN
カメラマン紹介
河野 誠

河野誠プロフィール

 「カシャカシャカシャ――」。ファインダーを覗きながら私は、カメラの連写音の響きをいつも心地よく聞いている。
この瞬間を「切り取っている」とか「好い写真が撮れた」とかいう心ときめくものではない。私にとってこの音は「癒し」なのだ。
カメラを手にして50年。その内45年を報道カメラマンとして新聞社で過ごした。体験した取材は「札幌オリンピック」や「ミグ25事件」、2度の「有珠山大噴火」、「豊浜トンネル事故」、炭鉱事故は手足の指では数えきれないほどゴマンとある。
報道カメラマンは、スポーツ写真が撮れなければ一人前と言われない。それは、たった一度のシャッターチャンスをものにすること。一連の動きの先を読むこと。それによって決断力が養われてくるからだ。
私は、長嶋、王らのプロ野球巨人戦をはじめ青木、尾崎らのプロゴルフ。海老原、原田、藤猛、西城らのボクシング世界タイトルマッチ。ステンマルク、グスタボ・トエニらのワールドカップスキー大会などスポーツ取材に数限りがない。(敬称略)
その延長線上に「フォトプレスアットーレ」がある。
今はその他にNHK文化センター札幌校で写真講座の講師として毎週、全道を駆け回っている。
著書は、報道カメラマン時代の私の失敗談を記した「カメラがなくても写真は撮れる」(廣済堂出版)。昔の札幌の写真を集めた写真集「あのころの札幌」(フォーメンズ出版)がある。

若松 裕幸

若松 裕幸プロフィール

1950年、北海道江別市生まれ、北大放射線技師学校、室工大電気(Ⅱ)卒、
医療業界でRadio-Photographerとして三十数年間携わっていた。
病気の診断治療は日進月歩で進化しており、そのため放射線を利用した医用写真も電子工業の発展とともに大きく進化した時期で貴重な体験であった。
多くの医師との共同作業を通じてそれなりに充実した日々を過ごしていたが
しかし、Photographerとしてはこれらは基本的に白黒写真であるため次第に不満となっていた。
50才を過ぎるあたりからスランプに陥ったことや年老いた親の介護などもあり退職することにした。
また、のこり人生を考えるに悔いのないようにするためにも、ここ10年ほどのデジカメの急速進歩によりフィルム時代が終焉を迎えたこの機会を逃さずカメラ趣味を再開した。
このことで、健康に問題ない人々とも幅広く出会えるようになったのはうれしいことだ。
とくに成長期で元気ハツラツの子ども達のスポーツ撮影はいままでになく楽しく元気をもらうことが多い。
いま幼い孫がおりいずれ活発な成長期を迎えるにあたってその記録担当係としても楽しみができた。
それに、これは忙しい子育て世代パパママの応援ボランテイアとしても行いたい気持に通じている。
たとえば、子どもたちの行事は暗い中小学校の体育館で行われるため、高価なカメラ機材でなければなかなか思うような写真が撮れず、
経済的にもたいへんなパパママへの応援になるだろう。
自分の子育て時代にそうした家族サービスがあまりできなかった事が多くその反動かもしれない。
ちなみに試行錯誤もあって機材には車購入2台分を注ぎこんでしまった。
ともあれ世の不況が長く、地域を活性化するにはまずスポーツから賑やかすも一手で、こうした撮影提供する事で貢献できるのな ら一石二鳥と考え取り組んでいる。